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イラク戦争15年に寄せて⑦

イラクに初めて行ったのは1998年でした。

1991年の湾岸戦争から7年目でした。

多くの子供達が戦争の時に使われた劣化ウラン弾で病気になり、

苦しんだ末に私の目の前で亡くなって行きました。

戦争が終わったのに、戦禍は続いていました。

そんなイラクにまた新たな戦争が2003年に始まりました。

あの戦争によって、何もかもめちゃくちゃにされた人々が 500万人、

家や家族を国を失って、今も苦しんでいます。

戦地に行ったアメリカ兵もまた帰国してからも苦しんでいます。

この二つの戦争に日本は加担しています。

私たちに何ができるのか、それはまず知ることです。

自分と同じ、人間が戦争でどんな体験をしたのか、なぜ そうなったのか、

これからも起きるかもしれない戦争を防ぐにはどうしたらいいのか、本気で考えることです。

鎌仲ひとみ(映像作家)

イラク戦争は、存在しない大量破壊兵器の廃棄を目的として、先制攻撃ドクトリンに基づく戦争として、国連憲章が定めた戦後の戦争秩序を崩壊させました。武力によって体制を崩壊させてイラクに民主主義をもたらすという「ネオコン」の政治目的も背景にありました。

その当否はともかく、今日のイラクの現状を見れば、政治目的を達成できなかった「失敗の戦争」であり、戦争という手段では実現できないことを目標とする「無駄な戦争」でした。無駄な戦争によって失われた多くの命を『無駄』にしないことが、現代を生きる我々の使命だと思います。

また、日本は、戦後統治の支援のために自衛隊を派遣しました。それは、アメリカと戦場リスクを共有する「boots on the ground」の同盟協力モデルを生み出しましたが、派遣された自衛隊は、一発の弾を撃つことも一人の犠牲者を出すこともなく任務を終了しました。その後のアメリカの政策変更によって、「アメリカが破壊し日本が再建する」同盟モデルは通用しなくなりましたが、現政権は、安保法制によって自衛隊の武器使用を拡大し、イラク戦争後の混沌の中に自衛隊を派遣することを可能にしています。

イラク戦争と自衛隊派遣を検証することは、世界の現実を検証することであり、それなくして憲法を始めとする日本の針路を語ることはできないと思います。

柳澤協二(元内閣官房副長官補)

イラク戦争は、まったく終わっていない。ISによる支配でモースルやアンバール県で住民が受けた被害は、一向に復興されていない。ISはイラク戦争の「ツケ」によって生まれた組織だし、IS対策といいつつ民兵集団が跋扈しているのは、イラク戦争後の武装解除ができていないからだ。

戦争によって政権交代を強行する、というやり方が、単に人的、物理的な被害を生むばかりでなく、その後の国造りに大きな傷と歪みをもたらすものだ、ということを、イラク戦争は証明した。

これは、見直さなければならない。

イラクと同じように、政権の独裁に国民が苦しんだり、国家が破たんしたり、周辺国の介入で内戦が激化するといった状況によって、国際社会の関与が求められている紛争事案は、ますます増えている。だが、イラク戦争のように、間違った関与のやり方をそのまま繰り返しては、紛争はますます拡大し、混乱し、何倍ものISを生む。

苦しむ人々にどう手を差し伸べるべきなのか、戦争という方法ではなく別の方法を考えなければならないのに、戦後15年経っても解答が見つけていないのは、私たちの大いなる怠慢である。

酒井啓子(千葉大学)


 
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